
このお盆、亡き母の墓前に、
長男夫婦、初曾孫まで一緒に、墓参できました。
長男夫婦が、多羅尾の墓を掃除してくれました。
前にいる、じいちゃん(父)、大喜び。
それより誰より、今亡き母が、
仲睦まじい長男夫婦と、元気な初曾孫の顔が見れて、
一番喜んでいるように思われてなりませんでした。

十億の子に 十億の母あれど
わが母にまさる母あらめやも
柄にもなく、母が亡くなった当時、覚えた
暁烏敏 (あけがらす はや) 先生の歌が思い出されました。

私にとっては、かわゆい、かわゆい孫のひーちゃんです。
今回、 メッチャ、 私、 人見知りされました。
みんな曰く、
私のような大きな顔、見たことないから ・・・・なんだそうな。 合掌
昨日のブログで、
徒然に、「きく」 という日常行為について、
実は、わたし的には、その行為の行使を、
長年、ずいぶんとおざなりにして、
こんな大事な行為を使ってこなかったことに、
恥ずかしながら、50歳も半ばになろうとして、
最近ようやく気付きました・・・・なんてことを、告白しました。
で ・・・
本日は、「はなす」 について、
わたしなり、徒然に感ずるところを言い散らかさせて頂きます。
「はなす」 を、ワープロで漢字変換しますと、
・ 「話す」
・ 「放す」
・ 「離す」
が出てきます。
自分の思いの丈を、誰かに 「話す」 。
かかえきれない辛い悩みを、信頼できる人に 「話す」 。
毎々の下手な落語みたいで恐縮ですが ・・・
「話す」 は、「放す」 に繋がって 、
自分では、かかえきれないと感じていた辛い悩みが、
人に話すことで、自分から、少し放れて、
気持ちが楽になるってことを、私は少なからず実感します。
また、悩みごとを、人に話して、自分から放すことで、
少し自分から離れることになって、
自分自信を客観視できるということもあるように思います。
自分の苦しい辛い想いの素から、少し離れられたことで、
「こういうことで、俺は悩んでたのか・・・」 って言うことが見えてくるって、
言えばいんでしょうか ・・・・。
で、最近、この自分が得意としてきた 「はなす」 という、
ここいら辺の真理に思い至りだしまたら、
俺って、ずいぶんと、
自分の気持ちが楽になる 「はなす」 の方に偏った
生き方をしてきているなぁ〜 と、痛く反省するようになりまして、
昨日の 「きく」 という行為が、
これからのわたしの人生にとって、
いかに大事なことかと、心底感じたわけでありました。
で、最後に思うことは、
自分の想いをこうして 「話します」 と
やっぱ、気分いいよなぁ〜。
申し訳けございません。
ご清聴、ありがとうございました。 .....合掌
社員、部下又は、息子に、
指導とか、育成とか、教育いう自分の中の大義名分で、
自分が、その子にとっては、良かれと思われる ・・・
まっ、今になってわかってくることなんですが、
結局は、自分のその時点での、
できていない心の見たまま、感じたまま、想ったままを、
言い放っているだけなのに、それを説いているとか、指導しているとかって、
大きな勘違いをしていたってことに、
最近になって、ようやくにして 気付きだしたんです ね。
例えば、長男とは、こんなこと、しばしば ・・・ あったと思いだします。
長男が、なんかしでかして ・・・
私が、長男を前にして叱っています。
長男は、黙ってうつむいています。
私が、既になんだかんだ、言っています。
私 : 「 黙ってないで、言いたいことあんだろ!」
私 : 「 言いたいことあんなら、はっきり言え!」
倅 : 「 えーーっと、 それは ・・・○×□ ?!」
と息子が、ようやく口を開いてなにか言い出せば、
私 : 「 言い訳けすんな!バカ!!」
今になって、ふり返れば、
これは、教育にも指導にも、な〜んにも、なってない。
息子に、反省のきっかけを与え、
次回への気付きの効果なんて、全く期待できない。
そんな長男に、今では娘もでき、
こんなダメ親父の私も、いっちょ前に経営者として、
不況の大波に揉まれて、ようやく、少しそんなことに気付きだしました。
私に必要なこと、
それはまず、息子の気持ちを、根気よく聴いてあげること。
私の場合、大袈裟でもなんでもなく、
息子の話を、ご清聴させて頂く位の気持ちで、
傾聴させていただかねばいけなかったということ。
そして、相手とコミュニケーションが取れる状況が確立できて、
要するに、相手と気持ちが繋がって、ということ。
相手と気持ちが繋がらなければ、
こちらの想っていること (気持ち) なんて、
ちぃ〜っとも聴いてもらえないということ。
そんな当たり前の真理が、
すみません、こんな年になって、ようやく気付きだしたんですねぇ〜。
因みに、「きく」 とは・・・・
・ 英語のask、こちらがききたい質問に答えてもらうの訊く。
・ 英語のhear、自然に聞こえてくる的な聞く。
・ 英語のlisten、これは、しっかりきく為、耳偏に心も加わった聴く。
・ 更には、日本語の同音異義語として、効果がある時の効く。
・ 鼻が利く、融通が利くと言った時の利く。
人生、生涯勉強と、思わして頂きます。
最後まで、ご清聴ありがとうございました。
マスコミにとりあげられるような、
話題性のあるようなことをしてみせないと、
今は、世間に関心をもってもらえないことから ・・・・
あの人にしかできないというような
人目に立つことができないと ・・・・
立派じゃないというか、
偉くないというか ・・・・・
そんな錯覚に流されてしまいそうな風潮に、
知らず知らず、自分が浸かされてしまうときがあります。
誰にでもできる、あたり前のことを、
地道にコツコツと、倦まず弛まず、継続して実践する。
平凡なことを平凡にやり抜く。
それこそが非凡。
これって、祖父母や両親から教わった、私の原点 ...。
TARACOブランドでやっていることは、
決して人目につくようなことではないし、
あの人にしかできないというような難しいことではありません。
誰にでもできる平凡なことですが、
その平凡なことを、地道にコツコツと、
倦まず弛まず、継続してやり抜いて、非凡を目指そうと思います。
わたし、つい先日(7月28日)、54歳になりました。
人生、一度も入院というものを経験せず、
54歳まで生きてこれたことは、
両親並びにご先祖さまに、ただただ感謝する外ありません。
しかし、年相応、ぼつぼつ、もの忘れがひどくなってきてまっし、
既にもう、1年程前からは、老眼鏡のお世話になってます。
まっ、老眼鏡のお陰で、文字の読み書きには、
少しも不自由せず、日々過ごさせて頂いてますが....。
しかし、例えば、商品出荷の最中とかに、
老眼鏡を、何気に外して置いた場所を忘れてしまいますと ・・・
要は、一たび、老眼鏡が行方不明になりますってぇ〜と・・・
小さな文字に焦点が合わず、結果、仕事にならず で・・・
最近人気の女性芸人同様 ・・・・
「 裸眼の焦点が合わないと ・・・・ なんだか、妙に、イライラする〜。」
ってな、ハメに陥ってしまいます。
で ね。
裸眼で思ったのですが、
心の眼を 「心眼」 って言いますよ ね。
で、ね。
私なんか心眼の焦点が合わなくなると、
裸眼の焦点が合わないなんて、全然、目じゃない、
途端、たいへんなことになるなって ・・・・・。
「心眼」 のピントがずれると、
頭が真っ白になって、自暴自棄になったりしてる な って。
心が冷静さを失って ・・・
焦ったり、慌てたり、怒ったり、悲嘆にくれたり、思いあがってみたり・・・
そんな状況の時、心眼の焦点が合ってない時なんだ てね。
心眼の焦点をずらさないよう、
これからの人生、常に慎みを忘れず、
「 明るく ・ 正しく ・ 大らか 」 に生きてゆかねば ・・・・
そんなふうに思った?決意した?覚悟した?
54歳の誕生日付近で、 ありました。

| ・ | 1956年7月28日生(A型) |
| ・ | 趣味:犬の飼育(ダルメシアン2頭飼育中) |
| ・ | 小学2年迄、大阪 |
| ・ | 小3〜小4迄、愛知県岡崎 |
| ・ | 小5〜現在迄、川崎 |
| ・ | 中学2の1970年、父/光隆が、同地にて、タラオ電機(現コムデック)創業 |
| ・ | 1980年〜1999年 和泉電気(現IDEC)勤務 |
| ・ | 2001年 代表取締役就任 |
